
2010年09月02日
ヨーロッパ3ヶ国食日記その6〜ベルリンの壁〜
さて、蚤の市を堪能した私たちが向かったのは。。。。。
ベルリンの街中。

世界的にも有名な、歴史上の地、ベルリンの壁です。今は様々な絵が施されて、アートしています。

コレを境に、街が東と西に分かれてしまったのですね。壁は西ベルリンをグルッと一周囲っていましたが、今は1km位残されているそうです。
壁のむこうがわの建物も見えていますので、その当時は、手が届きそうな距離でも、行くことができなかったのですね。
べルリンの壁を反対側からみると、、、こういう感じ。

この辺りは、当時地雷なども埋められていたのですね。東ベルリンから西ベルリンに人が逃げていかないように、この辺りは、当時兵士もたくさんいて。。。
かつて、亡命しようとした人たちもたくさんいたでしょうが、そういう過酷な場であった、その同じ場所に自分が立ってみると、なんだか複雑な思いがします。
日本には、この亡命と言う言葉の意味する(戸籍を失う)こと自体が、一般的にあり得ないことで、平和であることを痛感させられます。
今では、そんな光景は想像出来ないほどの、のどかさです。こんな風に。。。

私たちが、安心して旅行を楽しめるような穏やかな土地となっています。
壁に書かれた絵も地獄の闇から、平和にうつっていくことを表現したような絵が多かったように感じました。



私が、今日、ベルリンでの食日記などというモノを、このブログに書いていること自体、この歴史的な背景がなかったらあり得なかったことかもしれません。
「食という文化」は、いろいろな歴史的な背景がありますが、やはり平和であるところに発展していくものだなぁ、とイメージしています。
このベルリンの壁は、どうしても見ておきたい
と思っていた場所でした。
今回のヨーロッパ3ヶ国食日記は、コチラからまとめて見ていただけます。
ブログを読んでいただきまして、ありがとうございました!

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ベルリンの街中。

世界的にも有名な、歴史上の地、ベルリンの壁です。今は様々な絵が施されて、アートしています。

コレを境に、街が東と西に分かれてしまったのですね。壁は西ベルリンをグルッと一周囲っていましたが、今は1km位残されているそうです。
壁のむこうがわの建物も見えていますので、その当時は、手が届きそうな距離でも、行くことができなかったのですね。
べルリンの壁を反対側からみると、、、こういう感じ。

この辺りは、当時地雷なども埋められていたのですね。東ベルリンから西ベルリンに人が逃げていかないように、この辺りは、当時兵士もたくさんいて。。。
かつて、亡命しようとした人たちもたくさんいたでしょうが、そういう過酷な場であった、その同じ場所に自分が立ってみると、なんだか複雑な思いがします。
日本には、この亡命と言う言葉の意味する(戸籍を失う)こと自体が、一般的にあり得ないことで、平和であることを痛感させられます。
今では、そんな光景は想像出来ないほどの、のどかさです。こんな風に。。。

私たちが、安心して旅行を楽しめるような穏やかな土地となっています。
壁に書かれた絵も地獄の闇から、平和にうつっていくことを表現したような絵が多かったように感じました。



私が、今日、ベルリンでの食日記などというモノを、このブログに書いていること自体、この歴史的な背景がなかったらあり得なかったことかもしれません。
「食という文化」は、いろいろな歴史的な背景がありますが、やはり平和であるところに発展していくものだなぁ、とイメージしています。
このベルリンの壁は、どうしても見ておきたい

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Posted by お料理教室 「Yukie's Kitchen」主宰 倉地 雪絵 at 19:42│Comments(0)
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